総合診療医という選択

総合診療医という選択

Voice 総合診療医のリアル

患者とその家族からのメッセージ

川島 篤志 医師古和田 文子 さん

安静ではなく、
したいことができる
バックアップ

患者家族

古和田 文子

戸惑う家族に納得がいくまで説明。
「覚悟ができた」

病院についてこられるのが好きやなかった主人が、「今度は一緒に」と病院から言われたようで、あわてて行ったんです。検査の結果、間質性肺炎やと。病名を聞いてもピンとこなかったんですけれども、先生が絵に描いて酸素が血液の中に行くことが難しい病気やいうこと説明してくださいました。病院の先生いうたら、パソコンに向かって本人さんとか患者家族には目もくれないという話をよく聞いていたんですが、病気の内容からこと細かく話してくださり、心安いというか、ああ、この先生でよかったと思いました。娘も先生のとこ行かしてもらって、十分納得したみたいでした。

また、先生のほうからは急変があるとも。その時は”そんな急変が起きるんかな”と信じられなかったんですけれど、先生がそうやって言われるいうことは、それは常に頭に置いとかないかんのやなあと思いました。

病気の重さいうのを初めて知りました。本人も『いつまで生きれるんか、知っとるか?』とたずねてきます。『いやいや、先生からそんなことは聞かされへんし、そんなこと思たら私はもうお父さんの世話できひん』と言ってました。今年の1月、トイレで倒れた時が、あっ、これが急変なんやと。それまでは頭にはあったけれど、なかなか急変いうことが分からなかったんです。どういう状態なんやろと思ってましたが、倒れて初めて分かったくらいで。

「し残しのないように」と、
旅先での備えもバックアップ

主人は鉄道マンで以前はよく旅行にもいきました。麻雀も、よう徹マンを。若い頃は二晩続けて、ジャラジャラ。朝はおにぎりをこしらえて、夜中はコーヒー持っていって大変やった。まあもう人生十分、いろいろ娯楽を持ってやってたさかいに、楽しかったと思います。

そういう人とわかってか、通院ごとに川島先生からは主人にわからないように声かけしていただいてたんです。「楽しみとかそういうことは、し残しがないようにしてもらってくださいね」と。病気を境に安静にしろと言うんじゃなく、本人さえよければ動いたらいいんですよと。主人にも伝わったようです。

それで5月には長崎へ行く予定やったんですけれども。旅行の相談をしたら、病気の状態の説明とか、旅先で連絡できるように、先生の名刺も手渡され、何かあった時にはすぐ連絡するように言われました。したいことは本人を優先させるように、そう言ってくださってると感じました。

病気がわかってからは割と動くのが辛そうになってきたものの、6月くらいまでは絵画教室にも行ってました。麻雀も好きやったもんで、月に2回か3回ほどは酸素ボンベを持って行かしてもらってます。いつも6時くらいから行って、夜中12時くらいに帰ってくるんですよ。その間が心配なんですけれども。10月くらいまではそうして楽しんでました。したいことは十分して生きたと思います。

「主人らしくいられた」
在宅サポート

8月ぐらいになり、感染や通院の大変さを心配してのことだと思いますが、川島先生のほうから『通院が困難になったら地域の医療チームがありますが、使われますか?』と言ってくださいました。

市民病院いうたら大きな病院で、いろんなところから急な病人さんが来られるところなのに、うちの主人ところへも来てもらえるんかと思いました。そんなシステムがあるんや思って、ほんまに嬉しかった。こうして通院が困難になってきたもんに対しても、診てもらえるんやいうことは、主人も『ああ、願ったりもない。嬉しいな』いうて喜んでおりました。

主人は自宅での最後の時間を、リビングで遺言をこつこつ書き上げる時間にあてていたようです。12月やと思うんですけど、震える手で。私、娘二人、それぞれの婿殿に5枚ですね。いつもこの自分の椅子に座って、コピー用紙を出してきて何かにしきりに書いてました。

亡くなってから1カ月ほど経って、片付けをしていたら「遺言」と書いてある手紙が出てきました。私が残った分、みんなに世話をかけるからよろしく頼む。この家のことも、ちゃんとみんなで相談してよいようにしてくれ。私には体に気をつけて、好きなことして楽しんで、長生きしてくださいって最後に書いてありました。

私の状態を知ってる
医師にかかりたい

実は私は関節リウマチで診てもらっています。それは、川島先生からリウマチは整形だけの病気じゃない、内科の病気でもありますよと言われたのがきっかけです。いざいうときには、やっぱり市民病院にかかって、川島先生のお世話になりたいという思いがあります。その時に1からかかるよりも、データがあり私の状態を知ってもらっといたら、何かのときにはすぐに対応してもらえるだろうと。

今、定期的に3カ月か4カ月に1回は胸のレントゲンも撮っていただいているんです。整形のほうは8週間ごとにお世話になってます。いざいうときには総合診療のみなさんがバックにおってもらってるということで、安心して日常の生活もやっていけます。今子ども夫婦と孫たちの6人分の食事を朝からこしらえて頑張れるんも、やっぱり市民病院でお世話になれるという安心感があるからです。