総合診療医という選択

総合診療医という選択

Voice 総合診療医のリアル

Generalist 01

幅広く診る。
多角的に診る。
高度な水準で。

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市立福知山市民病院 
総合内科 医長 / 研究研修センター長
(日本プライマリ・ケア連合学会認定指導医)

川島 篤志

あらゆる可能性から探る、総合診療医の専門性臨床推論なんですけど、何点かポイントがあると思うんですよね。一つは緊急性の高い致死的な病気をちゃんと診れるかという視点が絶対に必要です。命に関わる危ない病気をどういうふうな形で推論するのかっていうのは、医師の実力のひとつになので、その部分のトレーニングは絶対必要になってきます。

たとえばこんな症例がありました。近くの先生から紹介状をみると、どうも脈圧が狭い、失神みたいな症状があるっていうのが書いてるのをみて、これおかしいなって思ったんです。この患者さんを探すと、ご家族と待合室でニコニコ笑ってるんですけど、ちょっと話を聞いて、肺塞栓という致死的な病気の可能性がありました。救急に回って検査してもらったら、やはりそうだったと。お会いする前の紹介状の段階で推論し、おかしいなって思ったんです。

もう一つは、珍しい病気もやっぱり拾い上げる、もしくはいつも診てる病気じゃないっていうふうな感覚をきっちり持つような臨床推論は必要なんだと思うんですよね。どんな地域にも頻度は少なくともあるので、ちゃんと診れるか、診ようとするのかが大事になってきます。アンテナを張ってちゃんと見つける。見つけたら深く診るってことです。まれな疾患の経験というのは、誰もが何度も経験できるわけではありません。ですから日頃からのスタッフとの情報共有を密にすることです。他人や他施設の発表をちゃんと聞く・読む、自分が診たときには発信する。その積み重ねで磨かれていきます。

そしてなにより、よくある病気をしっかり診れることは、難しい病気や致死性の高い病気を知るための大前提になるんじゃないかと思ってます。たまたま拾い上げられていない複数疾患、循環器の先生は循環器の病気を知っている。けどたまたま腎臓が悪い、たまたま貧血があるっていうことに気付かれてないこともあるかもしれないんです。で、お年を取られた人ってのはたくさんの病気を持っています。それを普通にちゃんと拾い上げるっていうのも総合診療医の大きな臨床推論、大きなポイントだと思っています。また患者さんを診るにあたって、病気だけじゃなくていわゆるコンテキスト、どういうふうな生活をされてるのか、どういうふうなADLを持たれてるのか、そういうこともちゃんと臨床推論的に拾い上げることができるかってのは、僕は大事だと思っています。

患者のために病院を横断的に動き支え合う地域の医療を守るためには、高度な医療ができれば24時間365日提供することが理想です。しかし、高度医療を提供できる専門医の数が充分でない場合もあるのが地域の現実です。この少ない医師たちが専門性を発揮しながら、高齢化に伴う多様な医療ニーズに対応していくためには、病院にいる総合診療医の存在が重要度を増していくと考えてます。

たとえば、器具を使うカテーテルや不整脈の治療などは循環器内科の先生でなければできないのですが、彼らは同時に心不全のコントロールも行なっています。高齢者の増加とともに、治しきれない心不全の存在は、実はガイドラインの中にもグループ化されていますが、それをマネジメントする時には専門機器は必ずしも必要ないので、我々がサポートできます。そのちょっと手前の介入できる心不全もふくめ、きっちり診れるだけの能力、循環器の先生と議論ができる能力が必要と思います。

また、腎臓内科では腎臓がだんだん弱ってくる末期腎不全も増えてます。比較的数の少ない腎臓内科医がこの現状に対処してくことは難しいのです。これも様々な臓器を診られる総合診療医なら、透析になるのか、そのままお看取りになるのか、患者さんとコミュニケーションをとりながらマネジメントしていくことができます。

専門の先生のとこに出向いて一緒に診察したり、定期的な合同症例カンファレンスを開いたりして、専門科との連携をとってます。専門の先生が自分たちの専門以外のところで拾い上げられていない病気の部分であるとか、生活背景の部分であるとか、その患者さんの価値観だとか、将来に対する考え方とか。そういうところを僕たちが一緒にみてサポートすることで、自然に専門の先生もそういうようなことをやっていただいたりとかしています。

臨床研究でチームと地域全体の 臨床研究でチームと地域全体の能力を高めていく福知山市民病院では、臨床研究にも力を入れています。医師たちのモチベーションを高めるだけでなく、優れた医師を集め地域全体の医療の底上げにも繋がっていくと考えているからです。

けど、臨床研究ってちょっとハードルが高くて、なかなか踏み込めない。なぜかというと、仲間がいない、時間の確保ができない、研究するフィールドもしくはデータ集めの大変さがあります。ただ、それをちゃんと取っ払う環境ができれば、ある程度臨床能力が付いた人の次のステップとして魅力的なことです。

うちの病院では、若手、中堅に「学会が主催してるような勉強会に行きなさい」と常日頃から言っています。また、そういう所で勉強をした仲間がいるので、研究に推進力がついていますね。

臨床研究の進め方としては、日頃の疑問や「これは何かデータの蓄積になるんじゃないか」と思うようなことを、電子カルテベースで前もって準備をしていきます。そこに勉強会で知識を得てきた人が、院内のワークショップをひっぱりみんなでブラッシュアップする。これを定期的にやっています。まとまったら実際どこかの学会に発表する、執筆化する。そういうことを意識してやっていくことによって、大学病院でなくとも研究は進んでいきます。

で、僕自身はこの地域の医療を守るために、医者を集める使命があるのですが、若手を集めたあと優れた中堅やベテランを集めるときの鍵に、臨床研究があると思っています。

他の医療機関とともに地域の医療を守り抜く地域包括ケアを実践していくうえでも、地域の基幹病院における総合診療の存在がキーになります。困ったときに頼れる病院がなかったら、診療所の先生はほんとに困ってしまうと思うんですよね。基幹病院が基幹病院として、救急医療、高度医療、入院医療をきっちりやるということが大前提に地域包括ケアはあると思います。そんな中で、病院内の医師も、地域の先生がたも、全人的な医療とか患者中心の医療をしっかり実践することが、地域をサポートすることになります。だから一緒に働きながら、お互いに学び合える場づくりを心がけています。

在宅診療に関しては、当然診療所の先生方が今まで担ってきた大きな役割ですが、医療が高度化したり、社会生活の基盤が脆弱なかたが増えたり、複数疾患の罹患や入退院を繰り返す患者さんもおられる現実があります。レセプトのデータからも、「かかりつけ医が病院」という方も少なからずいることがわかっています。そうした中で、診療所の先生方だけで在宅診療が担えるのかというと、難しくなってきています。実際に当院のように在宅医療チームを持っている病院も出てきており、これからの流れになると思っています。

自分自身はある程度都市部にある診療所の医師を父に持ちます。普通に考えれば診療所を継ぐことになるかと思います。これまでも全人的に診れる、地域も診れるような医者を目指してトレーニングを積んできました。しかし、これまで話したようなことを背景に、地域の基幹病院がしっかりしなければ地域医療は支えきれないという結論に達しました。そこから、基幹病院の総合診療医として、生涯最後までやっていく覚悟をもって、父親にも跡は継がないと伝えました。この地域を守るためにそれが自分のキャリアプランと考えています。

若手医師へのメッセージ

これから総合診療を目指す医師に関しては、まず臨床能力をちゃんと付ける、これはほんとに当たり前だと思うし、比較的若いときから患者さん全体を診るというふうな視点をちゃんと持つ、そのトレーニングを着実に積んでいってもらいたいなというふうには思っています。これからいろんな部署で働くと思うのですが、自分のいる部署だけでなく、関わっている診療所の先生、ほかの専門の先生、急性期の先生がどのように考えているのか、相手の気持ちも考えられる医療者でいてほしいです。特に救急や入院をやる医者に関しては、診療所の先生の気持ちが分かるトレーニングを積み、また診療所の経験をしたことのある先生の言葉をしっかり心にとめていってほしいなと。実際、今後の総合診療のプログラムの中では、診療所の経験をした医師が、また急性期の病院に戻る、基幹病院に戻るという形のセッティングができつつあります。これは日本の医療にとっては大きなことです。こうしたことを若いうちから知っておくことは、今後の医療の、地域包括ケアの中でもすごく大事なキーワードになってくるはずです。

大阪出身で父は診療所医。1997年に筑波大学卒。市立舞鶴市民病院他で研鑽。 Johns Hopkins大学にて公衆衛生学修士取得。2008年秋より福知山市民病院に赴任し、総合内科臨床・研修医教育に従事。 救急疾患は勿論、よくある疾患を適切に診ること に加えて、全人的に診ることの重要性を院内・地域内に発信。 稀少疾患や他医療従事者が対応しがたい診療領域のカバーも「この地域で求められる医療」として実践。 教育や臨床研究への取組みが、地域医療実践に必要な人材確保につながると確信している。 「研修機能を持つ地域基幹病院の総合内科(=病院総合医)からの地域医療への貢献」を生涯、この地で実践する覚悟をもっている。