総合診療医という選択

総合診療医という選択

Voice 総合診療医のリアル

Generalist 03

地域を愛する
人びとと、
医師にできることを。

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更別村国民健康保険診療所 所長
(家庭医療専門医・指導医)

山田 康介

巻き込まれるようにして課題に関わる私が更別に赴任した頃は総合診療医という医者は誰も知らない、医師ですら知らない時代でした。 私自身は、総合診療科の医師になるための研修を日本で受けた医師のかなり初めのほうの医師です。そんな自分が日本の人口の少ないある田舎の町にぽっと降り立ったという意味では、実は総合診療医がいない時代といる時代がくっきり分かれている地域なんです、更別村は。

まず意識したのは医師の敷居を下げることでした。気軽に声をかけてもらえるようにいつもニコニコ、誰か相談に来たらなんでも親身に乗る。こちらからは診療所の医療を紹介する意味でかわら版を毎月配布したり、農家のみなさんが暇になる冬の時期を狙って、行政懇談会に相乗りして健康に関するトピックを講演したりしました。そんな風にしていたら、ケアマネジャーさんや保健師さんが「予防接種のことをちょっと相談したいんですけど」など、ちょっと悩んだり、手伝ってほしかったことを恐る恐る私に聞いてきたんです。そうしたら彼女達にとって私の反応がとても良かったようで「今度来たお医者さんはなんかちょっと違うね」と、周りの人が私のほうにつながってきてくれたんです、少しずつ。旗を振ってあれやるぞ!って言ってどんどん住民の皆さんを巻き込んでいったというよりかは、気付いたら私自身が巻き込まれるようにして地域の課題に関わらせていただくっていうのがスタートだったと思います。

また、近い将来見えていた高齢化にともない、認知症の患者さんが増えていくことは明らかだったので、「物忘れ外来」っていうのを予約制で診療所内で立ち上げました。それと同時に、ケアマネージャーさんとか社会福祉士さんと一緒に、住民の皆さん向けに寸劇を交えた勉強会を10回くらいやったと思います。そんなこともあり、診療所で何ができるのか住民の皆さんに知れ渡るようになるとともに、専門職どうしのつながりが深まりました。

不登校の問題に医師にできることから始める 医師にできることから始める今から10年ぐらい前に、村内の中学校で不登校が多く発生したという、村の中としては大きな事件が起きました。これはもっとこの地域の子どもたちを理解してあげないと何度も何度も繰り返されるだろうということで、もともと、それぞれの園医や校医をやっていることもあり、村内の幼稚園、保育園、小学校、中学校、高校までの先生方に声をかけて、更別の子どもたちの事例を語り合う「新しい芽」というサークルを立ち上げたんです。2ヶ月に一回集まって、事例を語り合う。そんな中で、先生がたの縦のつながりが生まれて、小学校から中学校など、生徒さんたちの受け渡しが進むようになって、不登校になる子が少なくなってきました。心身の問題が陰を落としているような病気を診察していることも理解してもらい、そのうち、学校の先生からもちょっと心配な子のことを相談いただくようになってきました。

不登校の生徒さんが多い中で、「更別で育つ子たちには自己尊重感——セルフエスティームって言うんですけども——それがあんまり高くないよね?」っていうことが話題になっていました。いわゆる”いい子”として中学校まで育っていくのに、高校で帯広へでると、いつの間にか太ってたばこを吸って茶髪になって帰ってくるんです。スポーツ好きで健康的な生活をしていた子でも、それが維持されなくなっちゃう。乳児検診とかで一緒になることが多い保健師さんに、どうしてかなって愚痴ったら、保健師さんも若いお母さんたちの自己尊重感が低いことが気になっていたって分かったんです。そこには、ライススキルっていうのが身についてないということがお互いに勉強をしていくなかでわかり、危機感をもった2人でまずは始めるか、と「さらべつほーぷ」というサークルを立ち上げたんです。

子どもの心にライフスキルを育む授業「さらべつほーぷ」の活動は、ライフスキルを思春期前後の子どもたちに教育としてお届けすることです。たとえばストレスに関しての授業。書き出したたくさんのストレスの原因リストをもとに、それがどういうものなのかを自分自身で理解してもらいます。今度は逆にそれを友だちと比較してみると「あれ?友だちとストレスの原因って全然違うんだなあ」と分かち合ったりする。人ってこんなに違うんだなとか、違ってていいんだなということを理解して、違いを認め合えるようになるんです。

“命の授業”も「さらべつほーぷ」の授業のひとつです。題材になった患者さんは大腸がんの末期だった方です。帯広市内の専門医に掛かって治療を受けていたけれど、積極的な治療はご本人も望まないということで住み慣れた自宅で最期まで過ごされました。その方のお亡くなりになるまでの物語を写真とともに、ご本人や奥さまの言葉をそのままお伝えする形で授業をさせていただきました。死そのものの医学的な側面は非常に画一的なものですが、そこに至るまでの物語が全く一つひとつ違うんだということ。そこで僕たちは生きているよね? と。

私がこの授業で問いかけたことは、実はさらべつほーぷで一番重要にしている子どもたちのセルフエスティームのことだったんです。死を考えることで自分自身の生きる物語というものを真剣に考えることになります。自分はかけがえのない一人の人間なんだという自分の存在の貴重さ、大事さというものを伝えたかったんです。

ずっと住み続けたいまちへ、 ずっと住み続けたいまちへ、医師にできることを私は更別村で、総合診療医として外来診療や訪問診療をしています。地域で一つしかない医療機関なので、有床診療所として19床の病棟も抱えています。生まれたばかりの赤ちゃんから百歳すぎの高齢者まで、メンタルヘルスもあれば、整形外科の問題もあり、けがとか救急まで、幅広い医学的問題に対応しています。診療所の院長であると同時に、役場の保健福祉課、社会福祉協議会を束ねる総合アドバイザーという職ももらっていて、村が住民の皆さん向けに展開する保険福祉医療に関する政策に関して常に意見を求められる立場で仕事をしています。最近も、世界的には子どもたち全員が受けるべきとされるワクチンを、日本でも先駆けて全て公費助成で無料で受けられるようになったのも、行政との絡みで実現できたことかもしれません。

日本で育った総合診療医が地域で医療をしたときにどれぐらい地域が良くなっていくのか、住民の皆さんの健康的な生活に寄与できるのか、そこをずっと追求していいきたい、そんな思いがずっとあります。

高齢者だけではなくて若い人たちがこの町で生きがいと、住み続けていたいなと思えるような町を作っていく、そこに医療者が何ができるのかなと今すごく考えています。この町で子を産み、育て、社会に送り出す過程の中で、別に立派でなくてもいいですが、子どもたちを元気に一人の社会人として安心して旅立たせてあげられる町にしていきたい。そういう意味でさらべつほーぷの取り組みはすごく重要だと思っています。なんとかこれから教育と私たち保険医療職の連携を生み出して、ライフスキルの教育を当たり前のように届けられる地域にしていきたいと思っています。

若手医師へのメッセージ

僕たちが医学部で学ぶ医学って膨大な知識の量なんですけれども、そこってもっと利用価値あるんじゃないかなと思ってるんですよね、すごく。何かって言うと、医学は患者さんを治すためだけのものだと思いがちなんですが、活用方法はいろいろある。住民の皆さんからたくさんの相談を持ちかけられるようになって思いました。例えば最近ですと、「今度、給食でこういうものを出してみたいんだけど、これって医学的な根拠ってどれぐらいあるんですか?」と聞かれたりします。調べてみて大したことない場合にはそう伝えると「じゃああんまりやる必要ないですよね?」と判断できる。それって実はかなり高度な医学知識を持って英語の論文まで持ってきて調べてあげないとほんとの意味が分からない。そういったちょっとした疑問に僕たち医師の知識はもっともっと利用できる。それをどんどん突き詰めていくと、お医者さんって地域の住民の皆さんのためにもっと身近に,もっと役立てる存在になるんじゃないかな、という僕の感覚があります。 そんな医師のあり方に共感できる皆さんにはぜひ総合診療医を目指してほしいです。

1998年に北海道大学を卒業後、日鋼記念病院 北海道家庭医療学センター(室蘭市)にて臨床研修。2000年より医療法人社団カレスアライアンス北海道家庭医療学センターにて家庭医療学専門医コース研修医を経て、2002年、北海道家庭医療学センターからの出向で更別村国民健康保険診療所に赴任、現職。北海道家庭医療学センターでは、2008年に常務理事に、2016年に副理事長としても活躍。